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やかんのおと

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➡「やかんのおと」 これは新入社員時、冬のボーナスでキヤノン社製のワープロを購入して、嬉しくてやみくもにワープロを打って遊んで?いたころ。もしかしたら、1988年に香港に語学研修に行くことになったころに書いたものかもしれない。何故か「はがき大」の紙幅にしている。どうしてだったか思い出せない。

何の下書きもなく、ストーリー展開とか、オチも考えずに、一気に打ち込んだような記憶があります。

 青っぽい文章は、今となっては恥ずかしいという感覚を越えて、こんな勢いもあったんだなと、かなり老境の気持ちが先行している、率直な気持ちデス。


「やかんのおと」

 大学四年の冬休み、僕は年末年始にかけて母校の中学校で警備員のアルバイトをしたことがあった。

 元旦の夜。妹が届けてくれたおせち料理と、数枚の年賀状。 そのなかに、僕と同じくこの中学校を卒業したある女性からの葉書があった。額に“うさぎ”と貼られた野良ネコを抱いた彼女が写っている賀状には、こう書いてあった。

 「会社はきまりましたか? 私は某テレビ局のアナウンサー。当たった方にはハワイ旅行は当たりません!?」

 僕は彼女が教員養成系の大学に通っていたことを思い出しながら、ちょうど今さっきラジオで流れていたビールのCMを思い出していた。

 “男は少年時代に いつまでも 忘れることのできない、ひとりの女性を胸に抱いて、今を過ごしている”

 

 僕はいつの間にか主事室の大きなテーブルの上に腕を枕にしながら、ウトウトしはじめていた。

 アルバム然としたアルバム。そのなかに数枚の写真とともに眠っているはずのモップ少女からの謹賀新年。

ある時期はある程度、彼女と共有していた時間があったはずだが、今の僕にとって全ての印象を消し去ってしまうほど、強く脳裏に残っているのは、彼女のモップを洗う姿である。


   

 中学三年の春。三学期の大掃除。ちょうどこの主事室から数メートルさきにみえる水飲み場で、ひとりモップを洗っている君の姿。僕は、四階の非常階段で当然のように掃除をサボり、トマトジュースを片手にジャムパンをかじりながら、聴いたところでわかるわけないFENを流してだべっている仲間たちに気付かれないように君を見ていた。ビリー・ジョエルのストレンジャーの口笛を真似るフリをして…。

 君はモップの柄にまたがり、蛇口から流れるまだきっと冷たい水で、何度も幾度も揉みゆすぎ、腕をピンと伸ばし体重をのせ、水を切る。

 僕は少し機械的にジャムパンをモグモグさせ、冷たい春風を左ポケットに感じながら君を見ていた。

 翌日は春の大雪。僕はまだ君が水飲み場でモップを洗っている姿を夢に見て目を覚ました。

 降り積もった雪は、首都高速沿いにある僕の住んでいた公団住宅を沈黙させたままだ。薄暗い僕の部屋にも、まだだれの足跡も残されていない雪が数センチ降り積もっている。布団のなかで両腕を伸ばすとザックッと雪の冷たさ伝わる。いつかゲレンデで大の字になった記憶だ。

 やっとのことで上半身だけ起こし、周りの寒さにあらためて気付きながら、僕は君に電話をかけるために雪のなかから受話器を探す。もしもし。

「もしもし?」

「もしもし、外はまだ雪が降っていますか?」

「もしもし?」

「水は、冷たくはありませんか、君は。君は、冷たくはありませんか?」

「…。 …。」

「モップ姿」

「えっ!?」

「モップ姿、すてきでした」

「…。 ありがとう…」

受話器をおき、彼女がもうモップを洗っていないことに安心しながら、僕はまだ体の震えがやまないこと気付いていた。



 六本木の地下鉄の駅で、彼女を見かけたのは高2の秋、9月だった。

 僕は友人とふたりで新宿のゲームセンターで仲良くなった女の子たちと、六本木にあるTV局に歌謡番組を観に行った帰りだった。ノリのいいところで、新宿に戻って少し踊ることになっていた。

 大学生風の男が後ろから彼女を支えている。酔っているのか俯きかげんで、肩まで伸びたストレート・ヘアが顔を隠す。

 モップを洗う女の子。

 僕は人波にまかせ、人違いを決め込むように階段を下りた。



 ガスストーブの上のケトルがシューシューと部屋を暖めてくれる。水を取り換えようとは思うが、身体が動かない。テーブルの上にうつぶせている僕は、想像してみているのではなく、また僕のまったく手の届かない夢でもなく、映画を観ているような、演じているような、そんな気持ちだ。


「天国ってどこにあると思う?」

「えっ、?」僕の頭のなかで僕の意志ではない、僕とは明らかに違う声が風のように聞こえた。瞬時、ケトルが泣いたのかとも思った。

「日曜日の、駅前の歩行者天国って、あれ天国かしら」

 どうやら僕はモップ姿の女の子と中学校の屋上にいるようだ。それは、いつか美術の時間で街を写生したときに眺めたことのある風景に由来しているようにも思われる。

 どんよりした空。水性の絵具で白と黒を配色させ、200円ぐらいの安筆で三、四度こするように書き殴った空だ。

 金網は焦げ茶に錆び、彼女はそれに背中合わせに、両手で金網を掴みギシギシと揺らしている。まだどこに立つべきか戸惑っている僕に、彼女の苛立ちの感情が伝わる。

「あっ、いや。うん、そうだね」

 僕はゆっくりと自分の位置〔彼女のまえ、屋上の入り口の扉に背もたれて、〕を確認する。

「教室の天井、屋上、雲の下、空、空の上、空の上何千メートル?」

 そういいながら彼女は掴んでいた金網を放し、両手を舞わして小さな風を作る。

「夜、月の夜、星空。星座、宇宙、宇宙のした何万光年?」

 いつの間にか、絵の具色の空は、日曜の歩行者天国を行く人々の姿を映しだしている。

「もしかしたら、」

僕は幸せそうな彼らの沈んだ表情を見ながら、「地下かもしれないなあ、熱いマグマのね」

と、空を見上げたまま言った。身体中の熱さを感じてそう答えたのだが、それはきっと近くにあるガスストーブのせいのようだ。水が少なくなったせいか、蒸気が前より激しく噴き出している。

「熱いマグマのした…」

 彼女は舞を止め、今度はグランドが見える側の金網にしがみつくようにして、地下にある炎の天国を透視している。僕はというと、せっかく「あの日」に戻れたというのに彼女の気持ちが分からず、少し悲しい気持ちでいる。今までとても思っていた君なのに、君はどうしてしまったんだろう。僕はこんなふうな会話から抜け出そうとして、抵抗はあるがあえて勇気をだして彼女の背中にむかって言ってみる。

「天国なんて、もしかしたら…」

瞬時、彼女は全身で吃驚し、僕のいい加減な言葉に対して、恐怖心を振り切るように、痛いほどに僕、僕の言葉に抵抗するテンスがつたわる。

「やめて、」

彼女のまだ短かった髪が冬の荒波のように逆巻く。

「ごめん、」

僕を手伝って風が吹く。

 時間が血管のように僕の心臓へとかえっては再び身体へと流れるようだ。音楽室から聞こえてくるリコーダーの合奏の調べは邦楽のような音階だけを繰り返す。

「…。私たち、なにも知らないのね」

「うん、そうかもしれない」

 悲しい彼女は、こうべを垂れ、おかっぱ頭の黒髪から23筋の雨粒が彼女の上履きにあたる。そして、

彼女の手に再びモップが握られようとする。

 あの日の水飲み場!

 蛇口から流れ出る冷たい水(君が口すさんでいた)

 休み時間の終わり、始業チャイムも大掃除の日には関係ない(懐かしい歌謡曲)

 僕もトマトジュースとジャムパンを手にしようとするが(懐かしい歌謡曲!)

だがしかし、彼女は最大限の勇気を振り絞り、全くのリアリティそのままに、手にしたモップを、

槍のように投擲する!(手にしたモップを、)

 それは放物線を描き、薄暗く、歪んだ水性絵の具の風景画のなかで、一条の光りそのもの。向かいの音楽大学の屋根に突き刺さる。

 と、同時に。非常ベルの赤いランプをぶち割ってボタンを押す場面に転移する。

ジリりり、りりりりーん。(赤いランプを、赤いボタンをぶち割って!)

 逃げる仲間たち。

 僕も、金網にしがみついて光るモップの行方をみつめている彼女を引き千切るように連れ去る。

「ホラッ、みて」

 向かう風に少し遅れて彼女が言う。逃げる仲間たち、走る僕と彼女。だが、僕らはしだいに風を切る感覚をなくして、風に乗るように、彼女は歌さえも口ずさむようになる。「ねえ、ほら見て」

 振り向けば、僕がひっぱっているのではない、あいている手、左手を高く天に伸ばしている。

ジリりり、りりりりーん。ベルはまだ僕らを追い立てる。

 彼女は左手を上げ、人差し指をピンと立て、肩をグルグルと廻して輪を描いている。その連続する円の軌跡はいくつもの、小さいながらも多くの星雲を創り出している。

 ベルがやむ。彼女がさきに立ち止まる。

 再び屋上の情景だ。ゆっくりとした心臓音が伝わる。彼女の暖かい波の音だ。向かい合う僕と彼女。


ボク:「トキドキニ、君ガ溜メ息、セツナクテ。自転車ノベル ヒトリ鳴ラス夜」

カノジョ:「アッタカナ、アナタノ寝息ニ 手ヲカサネ。二人フリ積ム 雪二ナルラム」(雪になるらん)


 僕は一瞬、彼女とキスをした感覚をもった。でも、ふたりの距離は変わらず、向かい合ったままだ。

 彼女はもう一度、左腕、左手の人差し指をピンと指向させ、肩を支点にし、輪を描く。小さなフラフープのような輪が彼女頭の上に浮かびでる。ひとつ浮かび、ふっと消え、またひとつ浮かぶ。

「ここも、」

と、彼女はもう一度同じ動作で輪を創り、そのなかを見上げ、そしてまた輪はすぐに消える。

「それに、ここも、」

 いつのまにか彼女は僕の斜め横に近づいて立っている。そして僕の頭の上にも同じ動作でリングを創る。

 僕はそれを見上げ、そのリングの内側にもう一つの宇宙(そら)があることを意識する。笑顔、の彼女。

「ここも空の領域です。

 もし天国が、空の、空のどこかにあるのなら、

 それは、ココでもあり、ワタシとアナタでも、あるのです」


 風が吹き、修理前の赤茶びた金網が少し揺れた。

* * *


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by eachkotobuki | 2025-12-24 23:51 | フィクション

いつかは定住を夢見ながらまだまだ続く、中国の窓から覗くノマド記録。


by 隣野太戸呂